高校2年の春。僕と悠は出会った。

彼は文字を書き何かを表現するに長けていた。そして何より美しかった。

彼の書いた物語を一度読めば、痛く心に染みる。本当に、本当に心に『痛く』染みる。

僕も物を書くのが好きだった。いや今でも好きだ。だが、筆は走らない。なにか物をとって見て特別美しさを見出せない。

それでも物語は思いつくし、自分にも何か才があるかもしれない。そんな淡い期待を抱いていた。

けれど一行に芽が出ない。しかも突然、唯一自分が誇っていた物語も思いつかなくなった。

虚無感と悠や世間の天才たちに対する劣等感に押しつぶされそうになり夜道を歩いていたその時、ふっと優しい風が吹き抜けるような、爽やかな声が僕の心に降りかかった。

「つらそうだねぇ」

まるで泣く赤子にかける声のようだった。

「何ですか」と、刺々しい声色が自分の口から出た。けれど、目の前の真っ白な肌をした長身の男はにっこりと笑みを浮かべている。

指は長く細く、顔は端正でだけど嫌味な感じもしない。足もスラリと長くモデルのようだった。

浮世離れしたその体躯。人の心を包み込み飲み込んでしまうような声音。ただ者ではないとすぐに察せられた。

「や、私は悪魔。君にいい話を持ってきたんだ」と優しく語りかける。

「いい話?」

「そう、君の羨む悠君の才能を君に譲渡しようという話だ」

「譲渡……」

譲渡ということは字の如く譲り渡すということだ。つまり彼からその才能を奪うということだろう。

流石に良心が傷つく。が、同時に僕と同じ目にあってみろと言う気持ちも膨れていた。いや、元々僕の影の中に潜んでいたのかもしれない。

僕は結局悪魔の誘いに乗ってしまった。心のどこかでどうせ変わらないと言う気持ちもあったのかもしれない。

だが、彼の言葉は嘘ではなかった。ある景色を見れば、今の心持ちを形容するような言葉がスラスラと出てくる。

「なんて美しいんだ」つい口からこぼれた。

翌日教室を入るといつもと様子の違う悠君の姿があった。焦っているように見えるし、苛立っているようにも見える。

いい気味だなんて気持ちが僅かに心を揺らす。

おれは無遠慮に、横柄に自分の作品をみんなに見せた。

教室中がざわめいた。そのざわめきの中心にいる俺を見て、悠がつぶやいた。

「お前だな」と。

この日の夜は嬉しくて嬉しくて、夜道をステップしていた。天高く輝く月も、とても小さく見えた。

一週間後、悠君は突然ぐしゃぐしゃになったノートをみんなの前に差し出した。

悠君は酷くやつれていた。この作品を作るのに相当苦労したのだろう。俺はみる前から心の中で嘲笑した。

無駄だ。才能ない奴がいくら頑張ったって……。

しかし、読み進めていくと心がぐらつく。波打つように揺れ動き、知らないうちに涙が落ちていた。

文章は拙い。だが、それでも心がざわつく。読みたい、読みたい、読みたい‼︎

読み進めるほどに肥大化していく。

読み終わった後、ざわざわと敗北感が押し寄せた。この敗北感の波に囚われ流されてしまった。

この夜、おぼつかない足取りで歩いた。天高く輝く月に何気なく手が伸びる。

「掴めない」

どれだけ伸ばそうが掴めない。小さく見えていた月はどうしようもなく遠くにあった。この手では触れられない。この手では掴めない……。

あぁ、そうか。これが僕と悠の違いだったのだ。僕がこうして才能を羨み何となく恨めしく見ている間に、彼は書き続けていたのだ。

自分の可能性を信じ続け、書き続けた。きっと輝く月の影のなか、延々と……。

彼の、あのボロボロの作品の中に、悠自身を鼓舞するためか、僕への当てつけかこんなセリフがあった。

『勝手に努力して、勝手に満足して、勝手に死ね』と。

その言葉を思い出すと僕はそっと手を伸ばすのをやめ、家に帰ると一目散に自分の家に駆け込み、筆をとった。